自分の生い立ち、家庭環境について思い出したこと
考えたこと
父母姉妹の5人家族で育った
小学校2年生で九九が覚えられなくて勉強につまづく
小学3年生から塾へ行き出す。成績はあがった
集中する楽しさ、できる楽しさを知る。
一生懸命勉強した。中学受験で国立に合格した。運も味方した。
片道1時間の中学へ3年間通う
付属の高校へ合格し片道2時間半の通学時間になる
サッカー部へ入部して女子が2人の初期メンバーとして頑張る。
運動はずっと好きだった。
通学時間は朝はとても眠たいし勉強もついていくのが大変だし
辛かったけど、友達もいて楽しかったし
サッカーでは、サッカー部女子としての活動が認められてとても嬉しかった。
勉強では高校では落ちこぼれですごく成績が悪かった。
運もあり、千葉大学へ合格した。国立なので親は喜んでいた。
私も国立というブランドと、親元を離れての一人暮らしができるのがとても嬉しかった。
大学では教育学部へ
卒業後は小学校の教員として7年間勤務したが
保護者対応、学年主任や校長、副校長への不信感が募り
メンタルを壊し退職。
この時すぐに精神科の医師が鬱の診断書を出してくれてすごくありがたかった。
親に関して
・母は私に、何度も何度も
お母さんの夢は国語の先生になることだったと語った。
夢を託されたのだと思った。お母さんの夢を叶えてあげたいと思ったのだと思う。
小学校の先生になったのは。
でも、自分でも小5で学級崩壊を経験して小6で、担任になったみやとう先生のことが大好きで、こういう先生になりたいと思った。
自分のダメな部分も生徒にオープンにしてくれた。社会科の先生だった。
あと、高校のサッカー部の顧問の栗原先生のことも尊敬していた。
栗原先生は生活指導主任でめちゃくちゃ怖かったけど
サッカーノートにコメントくれてすごく嬉しかった。
・母に言われて子供の頃傷ついた言葉 「おまえは本当に金食い虫だ」
母はお姑さんとうまくいかず、父との離婚を覚悟で娘3人を連れて
実家へ帰ったのです。母はずっと働いていて、うちは夕飯も遅かった。
あまり強くそう感じてはいなかったけど貧乏だったんだろうと思う。
大人になってから、父から養育費をもらうことも母は大変だったそうな。
父に〇〇円を月に入れてほしいとか、振り込んでおいてほしいと言っても
父は「なんで俺は自分の稼いだお金なのに好きに使えないんだ?」と言われたことがあるらしい。
そんな家庭だったのに、娘3人はスイミングへも通わせてもらったし
私は塾へも行った。姉はピアノも習っていた。
母の頑張りはすごい。
父の悪口も娘たちの前では言わなかった。
母には兄が一人と妹が一人いる
兄は統合失調症で、若い頃にはドラッグにも手を出して
今は病院にいる。生きてはいるけど、もう多分会うことはないのかも。
母の父(私のおじいちゃん)の考え方なのか
兄をもっと治療とか支援してあげたら良かったのに(そうしなかった)と母はよく言っていた。
私の知っている限り、母はずっと太っている
最近になってようやく母が病気かもしれないと思うようになった
太っているというより
常にむくんでいる。食事も昔からの習慣で塩分がかなり多い。
医者から指摘されても直せない。習慣とはそういうものだけれど。
母がようやく子育てから開放されて余裕が出てきたののか
マッサージに行くようになった。
そのマッサージ先の人に
「これだけむくんでいるってことは自律神経にも影響があると思う」
と妹経由で聞いた。(妹も同じマッサージに行ったことがあるため)
・大学卒業時に奨学金の借金が600万円あった。
貧乏だったけど、大学まで出させてもらった。夫とは大学で知り合い、もう10年以上の付き付き合いになる。
小学校教員を7年勤めて退職金ももらって、これまでの貯金も合わせて500万円は返済した。現在残り100万円の借金がある。
現在は専業主婦なので月々のお小遣いをコツコツためて返済にあてることにした。
奨学金の返済は、夫のお金で出してもらうんじゃなくて自分のお小遣いで時間はかかるけど返していきたい。